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GODDESS

2024年
03月05日

ビンテージボード2本リペア

ビンテージボード2本リペア

今日は小雨で
波も無いし辛い1日です。
 茅ケ崎店は
駐車場の屋根が有るので
リペアは外で出来ます。
 息子が鵠沼店から
持って来たビンテージボードの板が
 ナント
ドロップアウト
マーボー
 の板でした。
キズも有ってゴミにしようかと思って
暫く眺めて居ましたが。
 ドロップアウトの小川(エド)
 マーボーロイヤルの 小室(マーボー)
二人とも他界しこの世には居ません。
 板は傷だらけで
修復する価値はありません。
 しかし、しかしです。
二人とも、サーフィン創成期
僕が削った板に乗って居ました。
 エドは学生でプールガーデン前がホームで
鵠沼で最も伝統ある
{サーフィンシャークス)
  の若手でした。
 当時は
鵠沼プールガーデン前が
サーファーの集まる場所で社交場で
 顔見知りばかりでした。
そんな事も有って
 今回手元に来た
此の2本は、何か運命的な物を
感じさせる板で
 何とか、修復して
息を吹き返らせて上げなければ成らない。
 そんな気持ちにさせて呉れて
今日からリペアに入りました。
 2本共
同時期の板で、オンフィン
デッキがフラットで
レールも丸目で浮力が有って
何処のメーカーも同じような形状で
 テイクオフが楽で
サーフィンは右肩上がりの
 良い時代の板です。
丸井の新島の世界大会で
ハワイのデーンケアロハが優勝した頃の板
 其のものです。

エドは僕らの下の若手を纏めて
 JPSAを立ち上げて
PRO協会の立役者です。
 マーボーは
ロングボードの申し子で
亡くなるその年の7月にも
辻堂海岸を一杯に使って
 マーボーロイヤルの大会を実施して来ました。
 二人とも
日本のサーフィン史を語るうえで
忘れては成らないオーソリテイ です。
 エドのサーフィン
 マーボーのサーフィン
二人とも特徴が有って
素晴らしいサーファーでした。
 僕に取っては
後輩では有りますが
自慢の出来るライダーの一人でした。
 其の彼らの板が
何故か昨日息子が持って来て呉れて
僕の所に来たかったんだろうな?
 ナンて 勝手な理由を付けて
 メンテを行う事にしました。