イヤービックリです
スノーボード創成期
未だスキー場がスノーボードをやらせてくれない時代
関東では群馬の丸沼スキー場が
一番右側のゲレンデを開放して呉れて
朝4時起きして通っていた時代
知り合って
後に僕のスノーボードの師匠として
其の後のスノーボードの開発にも協力して呉れた
丹羽さんが来てくれました。
横浜で水道やをやって居た大森さんが居て
昔に 通勤で駅に向かって居る時に丹羽さんが倒れた。
と言う事を聞いて
其処から連絡が途絶えて
山でも姿を見る事が無くなりました
時代は急激に盛り上がり
当社も新潟、山梨、長野に3か所の更新スクールを開設するまでになって
群馬の片品村花咲にロッジを立てて
スノーボードのインストラクターの養成する施設も運営するまでになって居ました。
山は登れば下る時期が来ます
スノボーもオリンピックを境に急降下で衰退がはじまり
当社はスノボー事業から撤退を早い時期に決定しました
そんな激動の時代を経過し
忘れて居た時に 丹羽さんがヒョッコリ来てくれて
メチャビックリです。
しかし驚いた事に、この空白が有っても
丹羽さんは当時のまんまで2度びっくりでした。
写真に写っている板は
Goddessのアルペンボードでフランスで作った
最終モデルです。
今でもこの板に乗って滑って居ます。
フレックス、キャンバーもへたりが無くて
心材のウッド、その周りをグラスファイバー
ソールはピーテックス
エッジは純度の高いスチール(鉄)
之をエポキシ樹脂で
最後は高圧なプレス機で圧着し整形した製品は
何十年経ってもキャンバーがヘタることは有りません。
{良い物は良い}
国産も色々なメーカーに作って貰いましたが
殆どのメーカはフレックス、キャンバーは腰が抜けてフラットに成ってしまう
今もこの板でゲレンデを滑走して居ます。
積もる話は山ほどあるんですが
丹羽さんは今ではロングにはまって居て
静波のウエーブプールに良く通っているそうです
箱根強羅に住んで居て
吉浜、静岡方面に行っているそうです。
まあ、昔お世話に成った方が
久し振りに顔を見れて 最高に良い日に成りました。
私はA級インストラクター&検定員資格保持者 です。
スノボーの開発はアルペンボードがメーンで
フリースタイルも作って居ました