HotStickは
その昔、自分が
ロングには飽きが来て
ナントかショートに乗って居た時代が忘れられなくて
悩んで悩んで開発し4~5年掛かって完成した板です。
自分のシエープ人生の中で
最も画期的で世界中に此のカテゴリーの板の普及に寄与した板です。
当時このサイズ、アウトライン、スペックの板は何処にも無くて
私が切り開いた発明に一つです。
開発のコンセプトは
1.ロングのように楽にテイクオフが出来て持ち運びも楽
2.乗ったらショートの様に板が動かせてスピードの乗る
寝ても覚めても頭の中で葛藤しました。
最初にテストボードが完成し、2月の天気が良い日で
早速パークに自転車を走らせ行ってみると
波は腰ぐらいあってテストには充分
最初にテイクオフした瞬間
思わず笑ってしまうほど、頭の中に描いていたドリームボードでした。
凄い、凄い板が誕生した。
と一人悦に浸りました。
その後はサイズも245.250.255、と変化し
誰もが乗って、私と同じように幸福を感じ取れる板は
252で完成しました。
年齢を重ねた方、体重が増えた方、女性、色々な方が乗ってくれて
気に入ってくれて、オーダーで作った板は
中古に成って市場に出て来る事の無い、板。
として有名になりました。
時が流れて、ツーピース時代が到来し
HotStickがツーピースと成って製品化されました。
昨年暮れに入荷し
ユーザーさんも2本目の板として売れています。
写真を見て頂けると分かるように
メチャ乗りやすく楽しい板です。
オジサン系共言われている
HotStickは誰が乗っても乗りやすく
扱いも楽で、ツーピースに成れば
何処に持っていくにも安心です。
是非、乗ってみてください。
昨日は逗子に用事が有って
その帰りに仲間の
ココナツボーイのヨッチ(真壁)の店に立ち寄りました。
ヨッチは言わずと知れた逗子のウインドサーフィン&SUPの第一人者で
自分がウインドにハマって居た頃からの仲間です。
その昔
ウインドが日本に入って来た頃
協会が出来てウインドサーフィンのインストラクター検定会が逗子で開催されて
私も受講しました。
その時の検定員がヨッチの兄貴で
話し方に特徴が有って、時々私が物まねで受けていました。
勿論合格で、辻堂にウインドの専門店 アクションスポーツをOPENしました。
当社はウインドサーフィン事業に参入しました。
そんな時に
ウインドサーフィンジャパン社の鈴木藤栄社長は
工場を栃木に建設し
有力デーラーを栃木の工場に視察を兼ねてバスで招待してくれて
夜は鬼怒川温泉で宴会、ヨッチとは大の仲良しになって
驚いたことに、朝に成ったらヨッチは居ない。
しかもバスの出発時間に成っても帰ってこない。
結局彼は電車で帰ってきました。
とこんな豪傑です。
しかし、そんな彼の人柄なんでしょう
逗子には日本を代表するクラスの選手が育って
異端児の古谷等ヨッチが育てたトップセーラーです。
ハワイのジョーズに挑戦したり、今はマウイに住んでいる小笠原等
二人とも日本のファンボードの世界を盛り上げた立役者です。
その二人が僕の削った板に乗っていた。
と言うのも面白いですね。
私も御前崎で開催された全日本ファンボード選手権大会で
シニアクラスで優勝するまでにハマって居て
私はマウイホキパの大会に3度挑戦しました。
これを機に私のウインドサーフィンへの挑戦は終わり
当時流行りだしたスノーボードに移行してゆくことに成るんですが
御前崎に向かうときに風が無かったときは
そのまま山に向かって車を走らせていました。
まあ、その時々、ヨッチとは交流していて
長い付き合いに成って居ます。
久しぶりに店に行きましたが
スタッフの女性スタッフ他店長の男性と
店は綺麗に片付いて居て、盛況ぶりが伺えます。
店の後ろには巨大な艇庫が有って
今の時代に合った経営体系が見て取れます。
素晴らしいです。
夏場に成ると逗子の海岸のチエックを逗子市から任されて
携帯を握りお役目を果たしているヨッチは
もう、偉大なポジションを作り上げています。
そんなヨッチと長年仲良くしてこれて
僕も誇りであり幸せです。
ヨッチに合うと何時もほっこりしてしまうのは
やはりヨッチが持っている人柄なんでしょうね。
お早うございます
今日は良い天気ですね
気温も上がり、いよいよ待ちに待った
サーフィンシーズン到来です。
今年からサーフィンやってみたい
板も買おうかな? 何て思っている方は
是非Goddessに来てください。
豊富な品揃えです。
板(サーフボード)には色々なカテゴリが有って
其れを全て揃えているのが老舗中の老舗 Goddessです。
湘南に2店舗
茅ヶ崎、鵠沼 どちらも海岸線134に面している好立地にあります。
サーフィンの全てが完璧に揃っているのがGoddessです。
板に付いて話すと
先ず、サイズ的に ショート系
ミッドレングス系
ロング
ビンテージ系
と分かれます。
その中に更に細かくサイズが有ります。
そして最初の方が迷う問題は
自分にあった板がどれか分かりません。
又それぞれ予算もあるし、そんな時は
知識が豊富なスタッフに聞くのが一番です。
ところが、です。
Shopと言っても千差万別で、キチンと対応が出来るスタッフが居るかどうか?
これが問題です。
老舗のGoddessスタッフはその点が違います。
プロも居れば、アマでも全日本出場経験があるスタッフが対応します。
お客様は、何を言っても良いです。
特に予算については相談して頂ければ
其の予算の中で板をセレクトしてくれます。
ユースドボードも有るし、
新品でも格安な板も揃えています。
又、板の保管、レンタル、スクール、リペア(修理)
全てが完璧に揃っています。
クラブ員登録して頂ければ、店の全ての施設が利用いただけます。
茅ヶ崎店は 180坪
鵠沼店は 165坪 で2店舗とも広く、駐車場もあります。
各店舗とも広いスペースのソファーも有ります。
海から上がって、ゆっくりするのも良いですね。
鵠沼店は 温水シャワー 3台 有ります。
湘南のリゾートとして多くの会員さんにご利用頂いて居ます。
ボードロッカーも未だ空きが有るし
海に一番近い場所にあります。
サーフィンシーズン到来で
何か分からない事、板の購入、板の保管、スクール等考えている方
ぜひGoddessに来てください、
{サーフィンはGoddessから}
湘南の最高の場所にあるGoddess
此処から多くのサーファーが育って行って居ます。
シニアサーフィンスクールも大賑わいです
5回コース ¥30000+税です。大人気です。
最終回には受講証明証書&Tシャツがプレゼントされます。
茅ヶ崎 0467-86-1173 (ハロー良い波)
鵠沼 0466ー35-0073 (サイコー大波)
私が書いた本{人生はサーフィン、大きな波に乗れ}
が売り切り状態で
ユーザーさんがネットで調べたらプレミアが付いて
¥4000の価格が付いていた。
と言われてビックリです。
定価は¥1650 です。
当店 茅ヶ崎店 0467-86-1173
鵠沼店 0466ー35-0073 には在庫は有ります。
地方発送の承っております。
お陰様で意外と好評で売れています。
内容的には
私がGoddessを立ち上げて、色々な事に挑戦し
紆余曲折を経て今のGoddessに成長していく過程が
リアルに忠実に記述した内容になって居ます。
其の為に写真を多く載せています。
17歳の時にべニア板でサーフボードもどきを製作しました。
ストーリーは全て其処から始まります。
サーフィンが初めて雑誌に取り上げられました。
平凡パンチ です。
石川次郎さんとイラストレーターの小林康弘氏 が
私の所に訪ねてきて
当時、私は
茅ヶ崎球場の海側、国木田独歩 の石碑が有るところの前に有った
営業していないレストランを私が借りて
其処で板を作って居ました
その後何回も平凡パンチがサーフィンを連載し
日本のサーフィン文化が日の目を見たのは
この時だ、と今でもその時を振り返り考え深く記憶に残って居ます。
私の本の面白さは
全て史実に元ずいて書いていることです。
日本のサーフィンの歴史でもあり、見方を変えると
ビジネスブックにも成っていると思います。
昔、長谷川家具店 で婚礼家具の配達をやって居ました。
その時にも既に私はサーフボード作りはスタートしていて
長谷川社長が店頭で僕が作ったロングボードを陳列させてくれました。
すると、何と其れが売れ出して
そのお陰で、私は本格的にサーフボード作りに向かう事に成った訳です。
長谷川静雄社長は私の人生で一生忘れる事の出来ない大恩人です。
この本が出来た時も、長谷川社長は、凄く喜んでくれて
100冊まとめて買ってくれました。
今Goddessが有るのも、その時々、多くの方のお陰で今が有るのだと思います。
波乱万丈と言うのも
私には色々な難題が降り掛かってきます。
アメリカのクラークフォーム社と契約し
茅ヶ崎の実家の前の土地を買って其処にフォーム工場を建てました。
2階は倉庫で営業卸の拠点にしました。
アメリカからクラークフォームの社長
ゴードンクラークを呼んで工場内部の断熱工事をやって居る最中に
内部から火災が発生し隣家も消失
2階の商品在庫も全て失って会社存続の危機に見舞われました。
今あるGoddessも決して平たんな道を歩いて来た訳では有りません。
ハワイのアラモアナの近くカピオラに通りに有る
ディックブルーワーのSHOPを買い取り
6年目を迎えた時に
日本から送り込んだマネージャーがハオレ(現地の人)と結婚し
土日の営業をしなくなって
売り上げが急激に下がりだして、退社し
現地の友人に頼んでスタッフが交代したんですが
それが大きなミステイクを生んで撤退する羽目に成って
総額2500満を失いました。
又、日本では卸先が200添付に及び
店舗の乱立から、代金の回収が遅れたり、不払いが起きたりで
日本中に営業していた卸業務を辞める決断をしました。
焦げ付いた代金は回収できず、貸し倒れ引当金が膨大になって
資金繰りは悪化し自らの手持ち資金を会社に投入し
何とか切り抜けて来ましたが
切れそうなロープにつかまっている居るような状況が続きました。
此処ではとても全容は話しきれませんが
それが詰まっているのが (人生はサーフィン、大きな波の乗れ) です。
読んで呉れた方が他に何冊も買ってくれて
この本は凄く為になる。 知人に読ませる。と言って買ってくれる方も居ます。
有る方は、河野太郎氏の秘書にこの本を渡して
河野さんに読んで貰いたい。と買って帰った方も居ます。
若いビジネスマン、これから起業される方
中小の経営者、是非、是非読んでみてください
起業し既に60年が経過しました。
持続は力なり
小さい会社ですが、会社を経営存続させることは
大企業と同様です。
読まれた方から
手紙を貰ったり、一人の方が何冊も購入して頂いて居るので
自分ではわかりませんが
何か面白いのかもしれません。
是非、沢山の方に読んで頂きたいと願っています。
ぜひ、スタッフに声をかけてください
鈴木 正