Tad Suzuki のブログ

シエーピング

私は板を削りだして60余年に成ります。

82歳に成って

シエープ道がドンな物か、少しは分かって来た様な気がします。

しかし、マダマダ勉強の途中で修行中です。

 今年に入って、オーダーして頂いたお客様の板が完成し

其のユーザーさんから、お礼に手紙を貰いました。

又、私が居ないときに

 わざわざ店に来ていただき年明けに完成した

ロングのシングルが余りに調子が良くて。と言って来てくれました。

 シエーパーとしてコンナに嬉しい事は有りません。

オーダー料は決して安いものでは有りません。

生活を切り詰めて高額な支払いをして呉れていると思います。

 今製作中の鎌倉のユーザーさんは

過去何年も、毎年2本はオーダーして頂いて居ます。

 二人で話しながら、時々一緒に海に入って

ユーザーさんのレベルもどんどん上がって来ていて

作る板もその技量に応じて変化していきます。

今月中に仕上がる1本は

遂に 材木座スペシャル と言うネーミングも決まりました。

 楽しいし嬉しいですね。

又、ベイFMの有名 DJツヨシの板も完成しました。

10日に取りに来ます。

 ある程度のスペックは頂き後は全て任されているので

スペシャルボードを削りました。

カラーリング当は本人に渡すまでは公表できませんが

Goddessらしい、綺麗なカラーリングの板に成って居ます。

 この日 DJツヨシに会いたい方は茅ヶ崎店、その後鵠沼店へも行きますので

是非遊びに来てください。(時間的には午後1時ごろだと思います)

 唯、シエープ済みの板は公表します。

ダブルウイングフィッシュ でボトムにはウエーブチャンネルが入って居て

フィンセットはクワッドです。ボックスはフユーチャー です。

 今年は新年早々に何本かオーダーが入り

幸先が良くて、シエーパーにとっては有難い年に成りそうです。

 今も、僕が生きてるうちに1本作って欲しい。

と冗談とも本気とも取れない事を言ってるユーザーさんが居ますが

その方は先日 ツーピースのホットステックを購入して頂いた方で

以前奥様の板も削って居るので

 私も本格的な1本は是非削らせて頂きたいと願っています。

まあ、私の場合年齢的には重ねていますが

 マダマダ、冬場はスノボーをガンガン滑っているし

真冬のメチャ冷たい時期は海には入らなくて

山で足腰を鍛えています。

エンジンが掛かるのは毎年4月頃、これからです。

 今年の全日本は静波に決まりました。

何回か練習に行って、どの板が合うか? そのテストには行かなければ成りません。

ロイアルクラス と言っても試合に成れば皆必死

頑張らなければ決勝には行けません。

 シエーパーで有る以上は現役サーファーで居なければ成りません。

乗り込んで乗り込んで板の特性、性能を発見することが出来るのです。

 僕は体が動く限りサーフィンは続けます。

シエープは私の一生涯を掛けた大事な仕事です。

世界1のシエーパーに成ることが最終目標です。

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友遠方より来る

高校の同級生

寛治が新潟、越後川口から来ました。

それも突然です。

僕は野球部、寛治はワンダーフォーゲル部

3年C組は、体育系が集まっていて

バレー部、柔道部。体操、陸上 とまあ良く集めたものだなー。と思っていました。

その中で寛治はかなり本格的で

授業にも出ないで山ばっかり行って居ました。

3年に1回の同窓会には未だ90人ぐらいは集まって

中々盛況です。が、です。

その度に人数は減っていて

閉会する時は、代表の挨拶で

次回3年後は 何人減っているかな。 で締めくくられて(笑)

寂しい限りです。

その中で。寛治は仲が良かったので、今でも行き来しています。

時々伊豆に釣りに来たり、その時には茅ヶ崎まで来てくれています。

 又冬場が終わる頃群馬の丸沼高原スキー場で滑って

一泊し酒を酌み交わして居ます。

残念ながら野球部のメンバーは殆ど他界し話し相手も居ません。

 寛治は商社マンとして

主に中東へ歴任し日本車を販売していました。

アラビヤ語、英語が堪能で同級生の中でも異質で

出世も早く自慢の友人です。

東京に住まいは有るのに、山が好き川口の築100はする古民家を買い取って

其処に住んでいます。

5月でも滑れる奥只見スキー場に行った事も有ります。

 やっぱり自分に与えられた仕事をやり遂げて来た寛治は

1本筋が通っていて人間としてリスペクト出来る仲間です。

昨年軽トラで山の伐採の仕事の帰り道

誤って軽トラがひっくり返って

左の腕を複雑骨折し5回の手術で2か月半入院しやっと復帰し

茅ヶ崎まで来てくれました。

 電話しても返事はないし

小千谷に住む友人に心配で見に行って貰って

やっと連絡が取れて、それ以来だったので

元気になって良かったと思います。

4月頭には丸沼で会う約束はしました。

 何時までも元気で居てくれないと。

まあ、あえて良かったです。

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NHKより再放送のお知らせ

もう大分昔に成ります。

新日本紀行 と言う番組の取材を受けました。

それが再放送されることに成りました。

 その資料は添付していきますが

3月 3回に分けて放映されることに成りました

 今となっては貴重な映像だと思います

お時間の有る方は是非ともご覧に成ってください

 当時の内容に関しては

殆ど記憶に残って居なくて、私も興味津々です。

 この資料に寄ると

当時当社の工場ではろう者の方が何人か働いていて

そのメンバーから頼まれてろう者のサーフィン大会を

やった様に記憶しています。

 唯、内容に関しては全く分かって居ません

宜しくお願いいたします。

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ツーピース(2分割)サーフボードの利便性

お早うございます

前にも紹介させて頂いて居ますが

改めてツーピース(2分割)サーフボードのすばらしさを

お伝え出来ればと思います。

 開発に着手したのは

ほぼ40数年前の事です。

長い板(サーフボード)は電車、バス、当には持ち込む事が出来ませんでした。

それを可能にするには

板を2分割にすれば良い事で

其処から開発はスタートしました。

パテント(特許権)の申請もし時間は掛かりましたが

特許を所得しました。

色々と試行錯誤し接続部分を金型で製作し

高額な費用を負担しました。

テスト結果は全然ダメで、試作品の板はバキバキ折れました。

それでも更に工夫を加え工場で手作りの試作品を何本も作りました。

PROのライダーにもテストして貰って

中々先が見えてこなくて

大きな壁に突き当たり資金的にも底をついて

 一時諦めムードに陥りました。

数年が経った頃、ウインドサーフィンにハマって

冬場、毎週、御前崎に通っていました。

その時に使っていたマストが4,5メートルで長いので

カーボンのツーピースマストが普及して来て居ました。

そのマストは軽量で高かったですが使うようになって

それでも強風時に耐えられなくてBREAK(折れる)する事があって

それをゴミとして捨てる時に

ツーピース部分はそのまま残っていて

 それを見つめて居た時に

すーっと何かが閃いて、そうだ、之をサーフボードの2分割のパーツに使ったらどうなんだろう?

 という発想が思い浮かんで、居ても立っても居られなくて

鎌倉のファーイーストの新島君の所にすっ飛んで行って

マストBREAKしたパーツを何本か貰って来ました。

 自分が乗っている280のロングを真っ二つに切って

メスパイプは穴を掘って埋め込みオスパイプは出っ張ったままで無我夢中で製作し

初テストはラチエン前、波は胸頭のグッドコンデション

 クラブ員の田中君が撮影してくれて(その時の写真は有ります)後で載せます

テストは大成功、2本のカーボンパイプは見事に強度を立証してくれて

ツーピースボードの開発は一気に明かりが差して来て

 オスパイプの出っ張りを

接続部分両方にメスパイプ、オスパイプは1本の独立したパイプとなって

ツーピースボードの心臓部が出来上がりました。

 唯、大問題は、接続部分の重量の問題は解決できていません。

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之がどうしても解決できないで居た時

中国の某工場に行った時に

其処の商談室で 社長と業者が話しているときに

竹材(バンブー)を使った下地素材を使った製品を見て

私は、之だ。と思ってその商談に加わって

 其処から、軽量で頑強な素材を発見しました。

その工場も直ぐにはツーピースボードは作ってはくれなくて

台湾、タイと作ってくれる工場を探して歩きました。

勿論作ってくれる工場があることは画期的で作ってはくれましたが

やはり軽量化と強度、この相反する事案をクリア出来なくて

 数年が経って

私は又中国の某工場へ向かいました。

あのバンブーを使わない限り此のツーピースの完成は無い。と思って

最後の頼みと思い社長に談判しました。

 社長には昔僕がサーフボード作りを教えた事も有って

やってみましょう。と言ってくれたんですが

その時既に社長は高齢で40代の息子が工場を動かしていて

その息子がOKしてくれなくて、泣く泣く帰ってきました。

 その後何回か息子さんにメールを送り

世界的に類のない発明で、御社が其れを生産する。と言うのは

世界に御社は当社と共に貢献する事に成るのでは。と訴えました。

 それに対し社長からは

息子は自分が説得する。と言う回答が来て

 社長と息子さん工場長3人で茅ヶ崎に来てくれて

ツーピースボードの本格的な生産に向かいました。

 それでも当初は思ったようには行かなくて

改良、改良を加えて今の製品に辿り着きました。

ロングボードからショートボード迄

 遂にツーピースボードの開発は達成出来ました。

強度と軽量化、この難題も解決できました。

 長くなりましたが

ツーピースに関する私の開発は

自分のサーフィン人生を注ぎ込んだ一生の仕事に成って居ます。

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