歴史テックな板が舞い込みました。
この板は
アラモアナスペシャル です。
ハワイの昔
ワイキキビーチに1件だけ日系人のお母さんがやっている
テイクオフレストランがありました。
日系人でその息子が
ダグラス山下キキと言って、僕も自然な形で
仲良くなって
日本へ行きたい。となって茅ヶ崎に来ました。
その時に稲村に入る板が欲しいとなって
削ったのがこの板です。
アラモアナスペシャルはダグラスが命名したネーミングです。
当時 ドジ井坂が当工場で働いていて
ダグラスのお世話はドジが率先してやって呉れていました。
当時、丁度西新井の日清紡で国産のフォームを試作してもらっていたので
この板にはストリンガーが入っていません。
シエープはダグラスが付きっきりで彼の要望を満たした板になっています。
実際に稲村アウトサイドがラインナップし
ダグラスとドジは一緒に入りました。
テールを絞ったこのアウトラインがフィットしたのか
ダグラスはデカい波をテイクオフし
レギュラーで乗り継ぎ鎌倉坂の下方面まで行ってしまい
ピークまで戻って来るのに相当の時間を費やしました。
アラモアナスペシャルと言うロゴは急遽作りましたが
それ以外のアートは自分がフォームに手書きで書きこんだものです。
ダグラスがハワイに帰った後、この板はドジが使っていて
何処でどうなって今頃店に戻って来る何て考えもしなかったので
ボロボロだった板を丁寧に時間をかけて修復し
剛プロが乗ってみましたが
波がオンショアのジャンクコンデションの中
やはり稲村用にダグラスが言うままにシエープした板は
肩位のサイズでは絞ったテール形状とテールボトムのラウンドが
水面を蹴る事が出来なくて
動画を見る限り、あまり良いライデンぐは引き出されて居ませんでした。
ダグラスのお母さんがやって居たワイキキビーチのたった1件のフードショップは
現在のアラモアナホテルの左側、ダイヤモンドヘッド側に有って賑わって居ました。
その後ワイキキビーチの制度改革で
乱立していたレンタルボード、その置き場、スクール、ダグラスの店も姿を消しました。
私の友人のロイさんも働き場所を失い
今ではボールズを基地にしてスクールは継続しています。
ハワイも時代とともに変化が必要なんでしょうね。
今日は
懐かしい、1本しかない、アラモアナスぺシャル
ワイキキビーチに1件しかなかった日系人経営の
その店の息子 ダグラス山下が
日本に来て稲村を乗るために私がシエープした板の紹介でした。
茅ヶ崎店に置いてあります。