おはようございます
当クラブ会長の箱田氏がお亡くなりになり
昨夜お通夜に参列しました。
ご親族でのお通夜ですが
奥様のご厚意で私も参列することができました。
箱田さんは
50歳の時にサーフィンを始めました。
当時私は江の島東浜にある
ピアスポーツの経営をしていました。
この施設はウインドサーフィンが主体の施設で
茅ヶ崎の日本精麦という会社が3000坪の土地の有効利用を
考えていて、当時の富士銀行からの依頼で
その新規事業に参加することになり
常務取締役という肩書で
施設の設計、2階のレストランの運営に着手したころです。
箱田さんは私と同年齢で
ウインドサーフィンスクールに入りました。
50歳でもあり私がスクールを実施しました。
東浜といえども海はうねりがあって
セールアップがなかなか上手くいかず
箱田さんは、ウインドサーフィンは難しいので
ロングボードを持ち出して、サポートしながら教えたところ
その日のうちに何とか立てて
そこからサーフィンに切り替えました。
最初はサーフィンも難しいので、もう来なくなるかなー
と思っていましたが
毎週来てくれて、私が専属で教えるようになりました。
僕がピアスポーツクラブで勤務するのは午前中のみ
箱田さんの熱心さに
僕も一緒になってサーフィンする日が多くなって
お茶したり、親しくなって数年がたったころ
箱田さんにGoddessサーフィンクラブの会長に成っていただきました。
一緒にハワイに行ったり、宮崎に行ったりしました。
箱田さんの履歴は
イブサンローランの日本支社長
コカ・コーラの日本支社長などを歴任し
のちに自らの会社を立ち上げ
企業コンサルティングや講演、本も100冊以上世に出し
ベストセラーに成ったこともあります。
奥様はJALのスチュワーデス
西鎌倉に住まわれ、山中湖には別荘があり
サーフィンするために鵠沼にできたマンションのペントハウスを購入し
仕事前にサーフィンする。というサーファーのライフスタイルを築きました。
箱田さんにとってサーフィンは大きく人生を変えました。
箱田さんの著書の一冊に
私にとって人生の師匠は 3人いる。とあります。
その3人目に私の名前がありました。
驚きと如何に箱田さんの人生がサーフィンによって変わったのか?
それが良く分かります。
昨夜、棺の中の箱田会長のお顔と対面させていただきましたが
穏やかで、ふっくらとしていて、安らかに眠っている感じでした。
奥様には、僕は幸せだった。と言っていたそうです。
ダイナミックな人生だったと思います。
船で世界一周をしたり
アメリカ大陸3000キロを車で走破したり、
奥様との幸せな時間がたくさんの写真に納まっていました。
サーフィンの写真も多く
その中に 50歳からサーフィンを始めた。という1枚に
私と一緒の写真もありました。
初めてオーダーして作った星条旗入りのロングです。
カントリーミュージックも長年メンバーとやって来て
祭壇では箱田会長の生の声が流れていて感動しました。
お別れに呼んで頂き
本当にありがとうございました。
会長との思い出は私の 宝物です。
Goddessのクラブ員大会に何時も来ていただき
ユーモアの有るスピーチ
表彰式
会長の温かい笑顔
決して忘れることはありません。
本当にありがとうございました。
クラブ員に代わって
厚く御礼申し上げます。
これからもGoddessサーフィンクラブを
どこかで見守っていてください。
さようなら、箱田会長、さようなら
残念です。もっともっと会長とサーフィンしたかったです。